東京地方裁判所 昭和30年(ワ)1306号 判決 1962年12月25日
原告 日本共産党
被告 株式会社読売新聞社
主文
被告は原告のために被告発行の読売新聞全国版朝刊社会面広告欄に一回、他の記事本文と同号活字を以て、別紙第二の謝罪広告を掲載せよ。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを三分し、その二を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、『被告は、原告のために被告発行の読売新聞全国版朝刊社会面広告欄に別紙第一の謝罪広告を連続三日間「謝罪広告」「株式会社読売新聞」「日本共産党殿」の部分は三号活字で三段抜き、本文及び日附は四号活字、「謝罪広告」はゴジツク活字を使用して掲載せよ。被告は、原告に対し金十二万円及びこれに対する昭和三十年三月十九日以降完済までの年五分の金員を支払へ、訴訟費用は被告の負担とする』との判決並びに金員の支払を命ずる部分につき仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
(一)原告は、政治資金規正法第二条所定の政党であつて、法人格のない社団ではあるが、代表者の定めのあるもの、被告は日刊新聞「読売新聞」を発行する新聞社であるところ、
(イ)被告は、昭和三十年二月三日附読売新聞朝刊社会面にトツプ記事として「防衛庁に日共スパイ?」「タイビスト嬢ら検挙、党資金かせぎに″健保サギ″」「中共の組織と関連か」との見出の下に左記要旨の記事を掲載報道した。
「警視庁公安一課では練馬警察署の協力を得て、防衛庁建設本部東京建設部女子職員松沢悦子を、健康保険証によるヤミ治療費の国庫から詐欺容疑で検挙したが、この事件は単なる詐欺事件ではなく、同女が日本共産党の党員若しくはそのシンパと見られるところから同党の資金面と関連があり、この方法は同党の大きな財源となつており、総選挙の費用と称する一億円カンパの実体も、これら健康保険証の悪用によるのではないかとみており、又同女は前示東京建設部総務部タイピストという機密事項を取扱う職務にあるので、同党又は中共の防衛庁に対するスパイ組織の一部ではないかとみて更にこの点について慎重な捜査を進めている。」
(ロ)更に被告は、昭和三十年二月十二日附同新聞朝刊社会面にトツプ記事として「日共の選挙資金やりくり」「名士や会社めぐりタクハツ隊繰出す。足りない分は香港ルート?利用」という見出で左記要旨の記事を掲載報道した。
「日共では九十九名の公認候補を立て、選挙戦をくりひげているが、選挙費をどうまかなつているか。党の基本財政はまつたくの赤字財政で、この穴うめには全国的なカンパの外、医療及び生活保護、健康保険証のカラクリやら、国外からの秘密資金ルートが伝えられている。カンパ方法は従前と変つて相手方により三種類にわけ、交渉に当る党員も対象に従つてわけられている。これと並行して行われているのか″たくはつカンパ″で軒並に金額を問わずぶつかつて歩き、会社等に対しては中ソ貿易開始の折は便利を図つてやるというのか口説き文句だといわれる。保守系の市町村長(東北地方)もこれに応じていることが目立つが、これは地方選挙であまり邪魔しないでくれという含みからだろうと当局はみている。しかし情報ではこのようなカンパの成績も上々とはいえない。海外からの資金については香港ルートを迂回しており、これまでの密出入国による資金搬入や、ヤミドルによる操作のほか、知名人士の中ソの往来がこれに利用されているものとみて当局は注目している。」
なお右記事中に「警視庁公安一課談」として「日共の選挙資金はカンパぐらいではまかなえない。国外から多額の資金が流れているのではないかとみられる。」との部分がある。
(二)ところで前項(イ)の記事は、その見出と本文と相まつて恰も原告が防衛庁の機密を探ぐるためにスパイを送り込み、公党にあるまじき国益侵害の卑劣な行動をなし、且つ党資金調達のために健康保険証の不正使用による国庫よりの治療費の詐取というが如き犯罪行為を策しているかの如き印象を一般読者に強烈に与えるものであり、これにより原告の名誉を著しく毀損するものであるが、松沢悦子は、原告の党員、シンパでないのは勿論、何等の関係もなく、その他の事項も全く虚構のものである。
(ロ)の記事も、見出と本文と相まつて、原告の選挙資金が医療保護生活保護、健康保険制度等の不正利用及び密出入国による国外よりの資金搬入、密輸、ヤミドルの操作等の犯罪行為により調達されており、カンパ方法にも中ソとの貿易開始の暁には、便宜を図つてやるとの口説き文句を使用して軒並に金額を問わずぶつかつて歩く、「たくはつカンパ」というものがあり、公党としての体面を、けがしているとの印象を一般読者に与えるものであるが、原告は、その選挙資金を国民の零細な醵金により支弁しており、記事にあらわれているが如き手段により選挙資金を調達した事実はなく、記事は虚偽も甚だしいものであるのみならず、右記事が掲載された当時は、衆議院議員選挙運動の期間中で、国民は均しく選挙に関心をもち選挙に関する新聞報道に注目していた折柄でもあり、数百万部の発行部数を有し、日本有数の日刊新聞である読売新聞紙上に右の如き記事の掲載されたことにより、原告に多大の精神的損害を与えたもので、その損害を金銭に見積るときは金一千万円を降るものではない。
(三)本件各記事は、被告の被用者である取材担当の訴外三田和夫、深江靖の両名が共同して取材、執筆し、被告新聞社の編輯局を通じて掲載させたものであるところ、
右記事の掲載が原告の名誉を傷つけ、無形の損害を原告にもたらすものであることは、当時右両名において知り又は取材者としての注意を怠らなければ、当然に知り得た筈のものであるから、原告の受けた名誉毀損その他無形の損害は、前示両名が被告の事業の執行につき故意又は少くとも過失により原告に与えたものであり、従つて被告は、右両名の使用者として原告の名誉を回復するに適当な処置を講じ、且つその損害を賠償する責めがある。
(四)よつて原告は、被告に対し原告の名誉回復のため別紙第一の謝罪広告を請求の趣旨に掲げたように新聞に掲載方を求めると共に、原告の受けた(二)の末項記載の無形の損害の換価金一千万円の内金十二万円とこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和三十年三月十九日以降完済までの民法に定められた年五分の遅延損害金の支払を求めるものである。
被告の答弁事実については、
(1)(2) は不知、
(3)のうち、手島がその義兄である被告主張の訴外長谷川秋郎方に止宿していたことがあり、同人方が家宅捜索を受けたことは認めるが、長谷川は、日本共産党員でもシンパでもない。その他の点は否認する。
(4)(5) は不知(従つて(5) の(A)乃至(F)も不知)、
仮に被告のいうように(1) 乃至(5) 、(A)乃至(F)の事実があつたとしても、それだけで本件各記事が真実のものと断定できるものではないし、
更に三田、深江の両名が本件記事にあらわれている事実を真実のものと信ずるについて正当の事由があつたとしても、記事中にあらわれている警察当局の見解は、原告の名誉を傷けるものとして当局としては未公表のものであつたのを、右両名は、敢えてこれを取材執筆したものであるから、違法性がないとは言えない。
被告の抗弁事実は否認する。
仮に被告新聞社における記者の選任、事業の監督として被告主張のように行われているものとしても、それだけでは、記者の選任、事業の監督に相当の注意をしたものとは言えない。
と述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、原告主張の請求原因につき、
(一)は認める。
(二)の第一乃至第四段はすべて争う。
第五段のうち、記事の掲載により原告に精神的損害を与えたこと、その損害の換価額が原告主張のとおりであることを否認する。
その余の点は認める。
(三)の第一段は認める。
第二段のうち本件における訴外三田和夫、深江靖の所為が、被告の事業の執行につきなされたものであることは認めるが、その余の主張はすべて争う。
原告主張の(一)の(イ)の記事については、
(1) 昭和三十年一月下旬防衛庁建設本部東京建設部の女子職員松沢悦子がその友人訴外手島千恵子の手を通じて健康保険証を病気でもないのに某医師に提供して治療費名目で国庫から金員の交付を受けさせた旨の詐欺容疑で練馬署に検挙されたこと、
(2) 松沢は、タイピストとして手島と共に日本共産党員訴外松浦幹の関係している印刷所五星社に勤めていたことがあること、
(3) 手島は、国電中野駅前六番地の住宅協会アパート六号室に住む日本共産党員か又はそのシンパである義兄訴外長谷川秋郎方に同居していたことがあり、右同居中の昭和三十年一月下旬手島に対する詐欺被告事件につき、警察官による家宅捜索がなされたが、その際同所から自衛隊発足以来の新聞、雑誌のスクラツプ、全国の駐屯部隊及び航空機の配置状況、防衛庁の全国航空機生産能力調査資料等が発見されたが、これらの資料は何れも松沢が勤めている防衛庁建設本部東京建設部総務課で入手できるものであり、松沢と手島とは眤懇な友人の間柄であること、
(4) 松沢に対する(1) の詐欺被疑事件は、練馬署では一般刑事事件を取扱う捜査係扱いとしないで、公安係に処理させたこと、
(5) 右被疑事件に類似する多数の事件が左記の如くあつたこと、
当時大阪の上二病院の日本共産党診療でも(1) と同様の事件が起り、係争中であつた。
昭和二十八年三月北海道黒松内勤労者診療所でも健康保険証による治療費の水増しによる詐欺事件があつた。
昭和二十九年十月石川県金沢市しろがね、寺井両診療所に対し同県衛生部が健康保険証不正利用の疑いで監査を実施しようとしたところ、同地区の日本共産党員及びその家族等多数が押しかけ妨害したため、監査が延期された。
昭和二十六年長野県で全県に亘る日本共産党員の計画的失業保険金詐欺事件が検挙された。
昭和二十九年十月東京都保険部が府中市内の中共関係引揚者十二世帯五十六名を生活保護費詐取の理由で摘発した。
次に原告主張の(一)の(ロ)の記事については、以上の(1) (2) (4) (5) の外、国外よりの秘密資金ルート、密出入国による操作等について、
(A)国家地方警察本部編纂の「共産主義運動の実態」と題する文書(乙第一号証)の内容中警察当局においては日本共産党が海外より資金の援助を受けていることを認めている旨の記載があること、
(B)昭和二十四年頃島根県及び広島県において日本共産党員が密輸入品であるサントニンを頒布したため、薬事法及び物価統制令違反として検挙されたこと、
(C)昭和二十五年十月頃日本共産党指導部員が朝鮮人党員より同党資金(現金代替の意)として受取つた密輸入品のヘロイン四百五十瓦(時価百万円以上)を売却しようとして逮捕されたこと、
(D)昭和二十八年三月十四日附民主新聞(中京で発行)に原告に対し中共が援助資金として六億五千七十七万五千人民円(邦貨換算額一千十一万九千四百六十二円)を、日本水害救援基金として十二億人民円(邦貨換算額一千八百四十六万五百三十八円)を送金する予定である旨発表されていること、
(E)昭和二十九年十月頃中京より李徳全女史が来日した際、同年十二月五日衆議院の予算委員会で当時の外務大臣岡崎勝男より「李徳全の来日の際北京ではこの費用として三万ドルを決定したという話だ。しかし日本の国内では日赤が全部費用を負担した。従つてこの三万ドルがどこへいつたか不明だ。」との趣旨の発言をしたこと、
(F)昭和二十九年八月以来問題となつたソ連のラストボロフが滞日中、日本に寄港したソ連船からヤミ弗を受取り日本共産党に交付したこと、
以上の諸事実は三田、深江の両名が警察当局その他について調査取材したことにより判明した事実であり、右両名は、右各事実に基き、取材中に感得した感覚と諸般の智識並びに多年に亘り調査研究した資料を綜合して本件各記事の内容を真実と判断したものであり、
各記事は、国家機関の機密についてのスパイ問題、公選に関係ある政党についての問題等公共の利害に関する事実に係り、新聞の社会的使命として専ら公益を図る目的に出たものであり、記事内容が真実であるばかりでなく、仮に真実ではなかつたとしても、真実と認められる事情の下に報道されたものであるから、たとえ右記事が原告の名誉を毀損したとしても、その記事の掲載は刑法第二百三十条の二の法意に照らし違法性がないばかりか、
その違法性があるとしても、三田、深江の両名はその記事の原稿作成当時、その内容が真実であると信じ、またすでに述べた事情の下では、その真実であると信じたのは、不注意のためではなかつたのであるから、故意又は過失の責めはない。
と述べ、更に抗弁として、
仮に三田、深江の両名が本件各記事の執筆について、故意又は過失があり、そのため原告の名誉を傷つけた責任を負うべきものとしても、被告新聞社においては、
三田、深江の如く取材活動をなす記者の選任について
先づ各大学長より推薦した四年制大学卒業者に対し筆記試験と面接試験とを課し、取材能力表現能力並びに政治、外交、経済、文化等に関する常識、外国語、人物についても考査し、これに合格した者を採用するもので、その採用には慎重を期しており、三田、深江の両名も、かくして採用されたものである。しかも採用後は教育部の研究員として三ケ月乃至六ケ月間、幹部により記者としての心構等を研修させ、その後被告新聞社の編輯局の各部(社会、経済、政治等)へ配属、六ケ月乃至一年間見習社員として先輩の指導の下に実習をさせた後、漸く記者となるのであるが、三田、深江の両名は、本件記事執筆当時警視庁記者倶楽部に派遣されていたものであり、かような派遣記者については特に才能、人柄等を調査し、適任者を選任するものであるから、被告としては、右両名の選任については相当の注意をしたのである。
事業の監督については、
編輯局において局長を中心とする部長会議、記事審査委員会、同委員等と各部部長との合同会議、各部別の編輯会議、デスク(各部の次長)会議等を定期的に開催して記事に対する審査、批判等を行つており、特に三田、深江両名の所属する社会部には多年の経験を積んだ優秀な数名の次長があり、各記者は次長と連絡をとり、指導、監督を受けつつ取材して原稿を作成し、その原稿は次長の検査を経て整理部に廻り記事となるもので、本件記事についても右の手続により次長の多年の経験と良識による内容の真実性の審査を経たものであるから、事業の監督についても相当の注意を怠らなかつたのである。
従つて被告は、原告が本件記事により名誉を毀損されたことによる何等の責任も負担するものではない。
と述べた。<立証省略>
理由
原告主張の(一)の事実は被告の認めるところである。
ところで右(一)の(イ)の記事は、防衛庁建設本部東京建設部総務課勤務タイピストの建康保険証の不正使用による国庫金の詐欺被疑事件の報道とこれに関連してこの事件についての警察当局の見解とその見解による捜査の進行中であることを報道するものであり又(ロ)の事は、日本共産党の選挙資金調達の方法について、記事の執筆者が他より伝聞したかの如く、「伝えられている」又は「いわれる」というような口調で、同党の資金調達方法として、医療保護、生活保護、健康保険証制度の不正利用やいわゆる″たくはつカンパ″によるものがあることを報道し、その他警察当局の見解として日本共産党に対し海外よりの援助資金があること、その資金搬入の方法についての当局の態度を報道し、これについて「警視庁公安一課談」なるものを附加したもので、「伝えられている」「いわれる」というが如き記事は、記事自体からみても無責任な感を抱かせるものであるが、(右用語は取材の根源を秘するに己むを得ないものかも知れないが、記事の内容が後述の如く、他人の名誉を傷つける性質のものである場合にはこの感を否めない。)右記事を読む通常人に対しては、(イ)の記事からして日本における合法な中央政党の一つとして一般に認められていることが公知の事実である日本共産党(この意味で公党ということにする)が、恰も防衛庁がその職責上正当な必要から外部に秘している施設等を正当でない目的のために防衛当局の目をかすめて探り出すためのスパイを防衛庁に送り込むという公党にあるまじき国益侵害の卑劣な行動をなし且つ党資金調達のために、健康保険証の不正使用による国庫金の詐取という犯罪行為を策しているかの如き印象を与え、
又(ロ)の記事からして、原告の選挙資金が医療保険、生活保険、健康保険制度等の不正利用及び密出入国による国外よりの資金の搬入、密輸、ヤミ弗の操作等の犯罪行為により調達されており、カンパ方法にも中ソとの貿易開始の暁には便利を図つてやるとの口説き文句を使用して軒並に金額を問わず、恰も僧侶の托鉢のようないわゆる″たくはつカンバ″というものがあり、これらの方法による資金かせぎをして公党としての体面を汚しているとの印象を与えるもので、犯罪行為とはならないものも社会の指弾を受ける所為として何れも原告の名誉を毀損するものと云わざるを得ない。
ところで本件記事は国家機関についてのスパイ問題、公選に関係ある政党の資金関係等公共の利害に関する事実に係り、その記事について、私益を図り若くは少くとも個人的事由に基いて執筆されたような特段の事情を認め得る証拠のない本件では、新聞記事として新聞の社会的使命に基き専ら公益を図る目的に出たものと推定されるので、すでに判示したように、右記事が原告の名誉を傷つける性質のものであつても、その真実であることが証明され、又は執筆者が真実と信ずることについて通常人が納得できる程度の相当の事由があるときは、刑法第二百三十条の二の法意からしても、記事は違法性のないものと云わなければならない。
そこで(イ)の記事が真実であることを認め得るかどうかの点についてしらべてみると、原本の存在並びに成立について争のない乙第九号証の二、乙第十号証の二、乙第十三号証の三の記載も、証人三田和夫の証言も記事の真実性についての的確な証拠とは云えず、他に右真実性を認めるに足りる証拠はない。
もつとも成立に争のない甲第一号証、原本の存在並びに成立について争のない甲第六乃至第八号証、甲第十乃至第十三号証、乙第九、第十号証の各一、二、乙第十二号証の一乃至三、乙第十三号証の一、二及び証人三田和夫の証言(但し右各文書の記載内容、証言中後記信用しない部分を除く)を綜合すれば、警視庁公安一課では防衛庁建設本部東京建設部総務課にタイピストとして勤務している訴外松沢悦子が当局において日本共産党員と目している青柳医師方に出入して挙動不審の点が見られるとの情報を入手したので、松沢の職務にかんがみ、防衛庁陸上自衛隊調査隊と連絡をとり、同人の行動を内偵中、昭和三十年一月健康保険証の不正使用による詐欺被疑事実を探知したが、当時公安一課では日本共産党の資金源の調査について力を注いでいた折でもあり、右被疑事実は同党の資金獲得方法と関係があるのではないか又松沢悦子は職務上知り得た防衛庁の機密を漏らしているのではないかの二点について疑をもつたので、被疑事実についての所轄練馬警察署に右事実の捜査を指示したところ、同署では公安係員がその捜査を担当し、松沢悦子、手島千恵子並びに青柳医師の三名に対する逮捕状、捜索状の発付を受けて昭和三十年一月二十四日右三名を逮捕し、同時に同人等の居宅について捜索を実施したが、取調の結果、松沢は防衛庁に勤める前、手島の勤めている五星社に勤務していたので、その頃より右両名は親交を重ねていたこと、手島は五星社の経営者で且つ同人の実姉の夫である訴外中西篤の紹介で青柳医師を知つたものであること、松沢は自己の健康保険証を手島に渡したがそれは手島が病弱であるのに勤務先の五星社が健康保険に加入していないので、友人関係にある手島に利用させ、医師の診療を受けさせるためであつたこと、青柳医師が右健康保険証により治療費として国庫支払を受けた額は約八千円であることは判明したが、右健康保険証の不正使用が日本共産党の資金調達のためになされたこと及び松沢が勤務先の防衛庁の機密を他に漏らしたという点についての疑いについては、これを事実として肯認するに足りる証左がなく、翌二十五日上叙三名は身柄を釈放され、単なる健康保険証不正使用による詐欺被疑事件として一件書類のみ検察官に送致されたが、手島が国庫に対し、その被害金を賠償したので、事件は起訴に至らないで終結したことが認められる(前掲各証拠中判示に副わない部分は信用できない)けれども、右認定事実からすれば松沢等に対する詐欺被疑事件は認定の如く落着し、(イ)の記事の内容の日本共産党の資金、スパイ問題等が右事件に関連する限りその存在についての疑惑はなくなつたことゝなり、記事の趣旨、殊にその結末に相反するものと云わなければならない。
さて原告主張の(三)の第一段の事実は本件当事者間に争がないので、三田、深江の両記者に、取材当時記事の内容を真実と信じたことについて通常人を納得させるに足りる相当の事由があつたか否かの点についてしらべてみると、前掲乙第九号証の一、二によれば、(イ)の記事の原稿が三田、深江両記者の手を離れ、被告新聞社の編輯局に送付されたのは記事が新聞紙に登載された日の前日である二月二日であるが、その送付前において両記者は、すでに松沢等が前述の如く身柄を釈放され事件は検察官のもとに送致され、一応警察署の取調が終了したことを知悉していたことが認められるので、当時までに両記者の取材にかゝる資料がその手許にあつたにしても、警察署の松沢等に対する詐欺被疑事件の取調終了後、更に右事件と日本共産党資金源並びにスパイ関係について何等かの発展を予測できるような事態についての取材をなしたこと又はその事態を認めるに足りる資料のあつたことを認め得る証拠のない本件では(イ)の記事に係る事実について両記者がその真実と信ずるにつき通常人を納得させる程度の事由があつたものとは云えず、従つてその記事の違法性を否定することはできない。
しかも以上判示したところにより、同時に三田、深江両記者は右記事について記者としてなすべき注意を怠つたゝめ、その内容たる事実が確証もなく又その事実の実在を信ずるについて相当と認められる事由もないことに気が付かないで記事として掲載させたものと云えるので、その違法性をもつ記事について少くとも過失があつたものと云わざるを得ない。
次に原告主張の(一)の(ロ)の記事については証人深江靖(第一、二回)、三田和夫の証言中には、右記事に掲げたものはすべて警察当局より入手した資料及び治安当局の係員より直接聴取したことに基くものであるとの供述があるけれども、右供述は全部をそのまゝ信用することはできないし、又その記事の真実であることを認めるに足りる的確な証拠とも云えず、その他右記事の真実を証明するに足りる証拠はない。もつとも右記事の前半は「と伝えられる」「といわれる」というように、他より伝聞したものゝ如くにあいまいな口調を使用していることは、すでに述べたとおりであるが、いやしくも他人の名誉を傷つける性質を有する具体的事項の風評を、その風評のあることは事実であるからといつて風評の内容である事項についての真実性に何等の願慮を払わず、記事として掲載したものとすれば、その記事の掲載が違法のものであることは疑いを容れないであろうし、又右記事が上叙の如く「伝えられる」「いわれる」となつていても、記事を読む通常人は右用語にかゝわらず、その「伝えられる」「いわれる」とされた具体的事実について、すでに判示したような印象を与えられることは否めないのであるから、その事実についての証明又はその実在を信ずることに通常人よりみて相当の理由がある場合でない限り、記事の違法性は阻却されないものと解すべきである。
さてすでに述べたように(ロ)の記事についてはその真実であることの証明はないのであるが、三田、深江両名が、これを真実と認めるについて相当の理由があつたかどうかをしらべてみると、成立に争のない乙第七、第八号証、証人三田和夫の証言(一部)、同証言により真正に成立したと認められる乙第一、第五号証並びに証人深江靖の証言(第一、二回の一部)を綜合すれば、
(い) 国家警察本部が昭和二十九年三月作成した「共産主義運動の実態」と題する文書(乙第一号証)の財政活動という標題の部分に(以下「」内が記載文言)、
(1) 「日本共産党につき、これらの財政源は、戦前の党の非合法時代の財政に例をとると、専ら資金を海外に仰いでいたのである。
戦後においても例えば、中共瀋陽で発行されていた民主新聞昨年三月十四日付号によると日本共産党に対する援助資金として六億五千七百七十七万五千人民円(邦貨換算一千十一万九千四百六十二円)、同じく日本水害救援基金として十二億人民円(邦貨換算一千八百四十六万五百三十八円)を送金する予定が発表されている。
これらの資金の受取人及びその使途等については明らかでないが、このように党活動資金の一部を海外に仰いでいることは、さらに密出国違反事件の捜査からも裏付けられているところである。」
(2) 「武器資金については、非合法手段に訴える獲得手段が指導されているようであるが、このことはたゞに武器資金に止らず、」「戦後なお治安機関の目をくぐつて行われていることは、昭和二十四年頃、当時サントニンの欠乏に乗じて党員がこれを広地域に密売した事件が検挙されている事実、また翌二十五年十月には現中央部員、元九州地方委員長が、朝鮮人党員から党資金として受取つたヘロイン四百五十グラム(当時時価百万円以上)を売ろうとして逮捕された事実等の示すところである。
昭和二十六年には長野県で全県にわたるような多数党員による計画的な失業保険金詐取事件」があつたことが記載されていること
(ろ) 警察当局では当時日本共産党の海外よりの資金援助について左記事実があるものとみていたこと、
(1) 李徳全女史が中共より来日の際、その費用として三万ドルが日本に持参されたことになつているが、同女史の日本滞在の間の費用はすべて日本赤十字社が負担したものであり、右三万ドルは日本共産党又は左翼団体に交付されているとの事実
(2) 元ソ連駐日代表部員ラストボロフは、一九五一、二年頃米貨で四十五万弗(邦貨換算一億六千二百万円)を日本共産党の幹部に贈つたとの事実
が認められる。
以上(い)(ろ)の各事実よりして三田、深江の両名が警察当局側だけの一方的見解を基礎としたものであるにしても、日本共産党が海外よりの秘密の資金ルートを有し、密出入国による資金搬入、密輸、ヤミ弗による操作の外、知名人の中ソの往来がルートとして利用されているとの記事の事実を真実と信ずるについて、捜査の専門家でない通常人としては、相当の事由があつたものと云え得るであろう。しかしながら、(い)の(2) の後段の記載はあるにしても、原告がその資金調達の方法の一つとして、医療保譲、生活保護、健康保険等の制度を悪用して、詐欺罪等の犯罪による国庫金の詐取を策しているとの事実、及び中ソとの貿易が開始の折は便利を図つてやるとの口説き文句を使つて軒並に金額を問わずぶつかつて歩く″たくはつカンパ″があるとの事実については三田、深江の両名が、右各事実の実在を信ずるにつき、通常人が相当の事由があるとするに足りる事情を認め得る証拠はない。
してみれば右各事実に関する部分についての原告主張の(一)の(ロ)の記事の違法性も認めざるを得ないと共に、三田、深江両記者は右記事について記者としてなすべき注意を怠つたゝめ、その内容たる事実が確証もなく、又その事実の実在を信ずるについて相当と認められる事由もないことに気が付かないで記事として掲載させたもので、その違法な記事について少くとも過失があつたものと云うべきである。
そこで被告の抗弁について判断すると、原本の存在並びに成立に争のない乙第十一号証の一、二と証人三田和夫の証言によれば、被告新聞社では四年制大学の卒業者について厳格な入社試験を行い、智識、才能及び人物を考査した上研究員として採用し、記者として必要な研修をさせ、更に見習として先輩の指導の下に実修をなさしめ、その後記者となるものであること、事業の監督についても記事審査会等があつて、記事についての審査、批判等を行つておること、記事の原稿は編輯局の各部の次長(デスク)を経て記事となるものであること、三田、深江両名も上述の段階を経て記者となつたものであり、本件記事も右に述べた手続を経て記事となつたものであること等は認められるが、そのうち記者となるまでの過程は、制度的に記者養成に不可欠と思われるものにすぎず、本件記事事項の担当者として三田、深江両名を選任するについては具体的に特に免責事由とするに足る注意を払つたものとは云えず、又業務の監督についても本件記事について特に真実を期するに必要な事前の注意が具体的になされた事実は認められないので、被告の抗弁は採用するに由なく、被告は三田、深江の両名の使用者としての責めを免れないのである。
そこで上叙記事によつて毀損された原告の名誉を回復するため謝罪広告を求める原告の請求について考えると、すでに判示した記事の内容、その他諸般の事情を斟酌考慮するときは、原告の名誉回復のためには被告をして別紙第二の内容の謝罪広告を主文第一項に掲げた方式で本件記事を掲載した被告発行の読売新聞紙上に掲載させることを以て足るものと認められるので、右の範囲を超える原告の請求を失当として棄却する。
次に原告の無形の損害に対する賠償請求について考えると、法人又は原告のような団体については、自然人と同様な意味で、名誉毀損による精神上の苦痛を受けるとは解し難い。原告が名誉を毀損されたことによる無形の損害は、公党(この意味はすでに述べた)としての国民よりの信頼を減退させた点にあると思われるが、かような政治的損害は金銭的に評価できるものではないし、仮に強いて評価したとしても、到底その評価額の正当性を期し得ないと思われる。従つて右無形の損害を金銭的に評価して、これが賠償を求める原告の請求は失当として棄却するの外はない。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条本文を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 毛利野富治郎 土田勇 佐藤栄一)
別紙第一
謝罪広告
弊社発行の読売新聞昭和三十年二月三日付朝刊社会面に、貴党があたかも防衛庁にスパイを送り込み、且つ貴党の選挙資金につき健康保険証によるヤミ治療費の国庫からの詐取がその大きな財源になつている旨及び同年同月十二日付朝刊社会面に貴党の選挙資金につき医療保護、生活保護、健康保険証の不正使用や密輸、ヤミドル操作等の不正行為による部分が大きい旨の報道をしましたが、右は全く事実無根の虚偽報道であつて、これにより貴党の名誉を甚しく毀損しましたことはまことに申訳なく、今後再びこのような不正行為は致しません。謹んでおわび申し上げます。
昭和 年 月 日
株式会社読売新聞社
日本共産党殿
別紙第二
謝罪広告
読売新聞昭和三十年二月三日付朝刊社会面に「防衛庁に日共スパイ?」なる見出しで掲載した記事並びに同年同月十二日付朝刊社会面に「日共の選挙資金やりくり」「名士や会社めぐりタクハツ隊繰出す。足りない分は香港ルート利用」との見出しで掲載した記事は事実に反する部分があり、そのため貴党の名誉を傷けたことを陳謝いたします。
昭和 年 月 日
株式会社読売新聞社
日本共産党殿